変わりゆく「当たり前」


結局わたしの「当たり前」は、友人父の「当たり前」と同じになってしまった。

経緯も違い判断基準も違う。
友人の父は、あれ以前に「代用バター」を食した。そしてその時の経験では不味かったのであろう。
決して健康を考慮して「バター」を選んでいたのではない。
それは図らずしも「バター」が売り切れていて、「マーガリン」が食卓に並んだからである。

今回を教訓にして、私の「当たり前」が世間の「当たり前」と違っていることもある、ということがわかった。
「マーガリン」ではなく「バター」を、健康面から選んでいる人達に賛同し、自分の基準も変わった。

さて、私はまだまだ自分の「当たり前」に疑問を持ち、調べなければならない必要性が出てきた。
今までの判断基準は、単なる「経験値」のみで下している疑いがある。
これはとても危険なことである。

ほんの一部だが、その後こんなことに興味を持った。

「レコード」と「CD」どっちが音がいいか?
嗜好の問題に過ぎない。ちゃんと双方意見がある。自分が聴いてみて「気持ちいい」方を選べば良い。いい音を出すためには、お金をかける必要もある。

「水道水」と「ペットボトルの水」。これは健康に直接関係する。
「水道水」派は「ちゃんと塩素で殺菌処理されているので安全」を謳う。塩素は国が定めた基準内の濃度だから問題ないという。
「ペットボトルの水」派は「塩素が人体に与える害」つまり「トリハロメタンの生成」が、癌になる疑いがあるとのWHOからの勧告を盾にする。
どっちが美味しいだけでなく、どっちが安全かの議論が必要なのは「当たり前だ」。
ただし、ここには「水道水」を管理する役所と、「ペットボトルの水」を販売するメーカーの思惑も見え隠れする。

結局私は「水道水を適切な手法で濾過して飲む」ことにした。

迷路はまだまだ続きそうだ。





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